大判例

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東京地方裁判所 昭和38年(ワ)2495号 判決 1967年4月24日

原告

県誠而

右訴訟代理人

真部勉

中田直人

駿河哲男

安田叡

被告

富士通信機製造株式会社

右代表者

岡田完二郎

右訴訟代理人

酒巻弥三郎

柳沢弘士

松崎正躬

主文

原告が被告に対し雇傭契約に基く権利を有することを確認する。

被告は原告に対し金九七四、六五五円を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決は第二項に限り仮に執行することができる。

理由

一原告が昭和三六年四月一日電話機その他の通信機器の製造販売を業とする会社に、その従業員として期間の定めなく雇われ、それ以来、本店勤労部勤労課で労働し、昭和三七年三月当時、月額一七二四五円の賃金を得ていたこと、会社における賃金の支払期が毎月二八日であつたこと、会社が昭和三七年三月一二日原告に対し口頭で懲戒処分として解雇する旨の意思表示をしたことは当事者間に争がない。

二そこで右懲戒解雇につき、その事由を考察して、その効力如何を判断する。

(一)  被告主張の懲戒事由―経歴詐称―について

1  原告入社の経緯

(1) 原告が東北大学経済学部在学中の昭和三五年九月二日及び三日会社の実施した新規採用者選考試験を受験したが、これより約二週間前に会社から交付を受けた会社所定の身上調書の用紙に必要事項を記入して同月二日会社に提出したことは当事者に争がないところ、<証拠>によれば、右身上調書中、「政党加入の有無並社会運動に対する関心の程度――政党員(党支持者を含む)であり、又あつた場合はその政党名と活動状況或は社会運動(政党、結社、研究会等の政治思想を中心とした運動)に対する関心の程度」という欄には「かつて政党員になつたこともなければ現在も政党員でもなければ、特定政党の支持者でもない。社会運動には全く関心がないわけではないが、新聞等を通じて位で特に関心があると云えない」と記載され、「校内の各種団体加入の有無及その活動状況――学内の学生自治会又は各種文化団体、スポーツ団体への加入の有無、及びその役職委員名と活動状況」という欄にはまず「東北大学山岳部員 器具係」と記載され、つづいて山岳部員としての活動が略記されたうえ、「他に参加団体ナシ」と記載され、「校外の各種団体加入の有無及その活動状況――学外各種団体への加入の有無、及その役職委員名と活動状況」という欄には「学外団体への加入ナシ」と記載されていることが認められ、<証拠>によれば、原告は前記選考試験において、会社の面接試験担当者から右身上調書の記載事実を読み上げて、その真偽を問われたのに対し、真実であることを確認したことが認められる。

(2) しかるに<証拠>によれば、原告はおそくとも右身上調書を会社に提出する以前に日本共産党に入党し、その後、同党の政治活動に従事し、日米安全保障条約反対デモに参加する等して社会運動に深甚の関心を寄せていたことが認められ、また<証拠>によれば、原告は右身上調書提出前、すでに左翼的運動の傾向を有する仙台労演に参加し、その委員として運営にも関与したことが認められる。

(3) してみると、原告は政党加入の有無、政治活動の状況及び社会運動に対する関心の程度並びに学外団体加入の有無及び活動状況の点において、全く虚偽の事実を記載した身上調書を会社に提出し、かつ会社の面接試験担当者の質問に対し右記載を真実であると虚偽の答弁をしたものというべきであるが、<証拠>によれば、会社は原告の申告が虚偽であることに気づかず、右身上調書の記載を真実であると信じ、その前提のもとに、これを参酌して、原告を雇入れることを決定したものであることが認められる。

なお、<証拠>によると、東北大学経済学部長末永茂喜は被告主張の記載がある原告の推薦書を会社に送付したことが認められ、原告の経歴に関する前示事実によれば、右推薦書中、原告の思想傾向及び団体加入に関する記載は事実に副わないというべきであるが、右推薦書の記載が原告の虚偽の申告にもとずくことを認めるに足りる証拠はない。

2  就業規則の適用に関する問題

(1) 会社の就業規則がその五条において新に雇入れられる者は身上調書等を提出すべき旨を定めるとともに、七五条において「重要な経歴をいつわり、その他不正の手段を用いて入社した者」は諭旨退職又は懲戒解雇に処し、情状によつて減給又は出勤停止に止めることがある旨を定めていることは当事者間に争がない。そして、会社が労働者を雇入れて、その労働力を使用するか否か、又はいかなる業務に使用するかを決定するため、これに先立ち、未知の労働力の評価に必要な事項につきその労働者に予め申告を求めることを企業目的遂行上欠かせない相当の措置であるというべきであつて、会社の就業規則において経歴詐称を懲戒事由と定めた趣旨は、労働力の評価に必要な重要な経歴につき虚偽の事実を告知して、会社にその評価を誤らせた労働者はこれにより、その労働力を会社の企業組織に組入るべきでないのに組入れさせ、又は少くとも、その労働力の企業組織内における配置を誤らせて、会社の事業の円滑な遂行を妨げたものとして、懲戒処分に付することにしたものであると解するのが相当である。

ところで、労働者の労働力の評価についていえば、労働者が雇傭契約にもとずき使用者に提供すべき労働力は労働者の単なる肉体条件のみならず、精神的条件によつて、その価値を左右されることを否定することができず、特に企業の幹部要員にあつては同僚と協調しながら、多数の部下を統率して、上司を補佐する労務に服するものであるから、その精神的条件すなわち知能、性格、教養ないし器量如何が労働力の価値を大きく決定する。従つて、これを推知すべき事項は、労働力の評価に当然、必要となるものといわなければならない。

(2) しかしながら、政党又は大学内外の諸団体加入の有無及びその活動状況もしくは会社運動に対する関心の程度の如きは労働者の性向の判断に全く関連がないわけではないが、少くとも会社のように物品の製造、販売を目的とする企業の場合には、使用者と労働者との間の労働関係が本来政治的、文化的色彩を帯有するものではなく、その意味で必ずしも全人格的接触を不可欠の条件とはしない以上、大学卒業の幹部要員についてもその性向判定のため、さして重要な事項とはいい難いのである。

ところが、原告が詐称した前記経歴は右事項に関するものであるから、会社の就業規則にいう重要な経歴と解するのは相当でない。従つて右経歴詐称をもつて懲戒事由とする根拠は乏しいといわざるを得ない。

(3) もつとも、原告は会社に入社するため、原告の思想、信条を推知すべき事実を故らに秘匿し、会社に採否決定の判断を誤らせる不正手段を用いたものであるから、形式的にみる限り、この点において会社の就業規則七五条に該当することは明らかである。

(二)  原告主張の解雇の真相―政治思想による差別待遇―について

しかしながら、<証拠>によれば、会社は原告に対する前記選考試験よりさき、従業員雇入の銓衡試験手続及び基準を制定するとともに、事業目的が製品の半分を日本電信電話公社に納入することにあるという公共的な面を重視し会社から日本共産党員を排除するため銓衡基準のうちに「過去又は現在において共産党員でないこと、又は共産党活動或はその下部従属機関の活動に従事したことがないこと」を設け、その後従業員の雇入に当つては右基準を絶対に動かせないものとして運用してきたことが認められるところ、労働者の政党加入ないし政治活動という経歴は前記のように本件の場合本来労働動の評価について重要な事項といえないから、彼此併せ考えると、会社が原告を解雇するに至つた根本的理由は原告が日本共産党員であること、すなわち、その政治的思想、信条にあつたものと認めるのが相当である。

(三)  さすれば、会社の原告に対する解雇の意思表示は明らかに労働基準法三条に牴触し、公序に違反するから、形式的に就業規則上の懲戒事由に該当することを理由とするものであつても、その効力を生じるに由がないものというべきである。

三次、被告主張の、その他の雇傭終了原因について判断する。

(一)  (錯誤)

会社が原告をその提出した身上調書において秘匿された経歴のない人物であると信じて雇入れたが、その認識に誤りがあつたことは前記認定のとおりであり、今日の取引社会においては通常の使用者の判断を基準とすれば、かような錯誤がなかつたとしたら、おそらく右経歴から推知される思想、信条の故に原告に対し、雇入の意思表示をしなかつたであろうけれども、元来、錯誤が法律行為の要素について生じたか否かは錯誤者の利益だけによつて決すべきものではなく、社会観念上、錯誤者が当然その危険において受忍すべき事項に関するときは、これを理由として意思表示の効力を否定することは許されないと解するのが相当であり、一方原告の右経歴は前記のように労働力の評価について重要な事項といえず、これによつて雇入を左右するのは、結局、右経歴から判明すべき原告の政治的思想信条を問題とするに帰するところ、労働力の取引につき労働者を、その思想信条によつて差別することは憲法一四条、労働基準法三条の法意に照らして許されない以上労働者を企業の幹部要員として雇入れるにあたつても、思想信条という、その労働者の属性に関する錯誤は使用者の当然受忍すべきものというべきであるから、会社は原告の右経歴に錯誤があつたことを理由として、その雇入契約の効力を否定し得るものではない。

(二)  (詐欺)

会社が昭和三八年五月一五日付書面をもつて原告に対し、その雇入契約を取消す旨の意思表示をし、右書面が、その頃原告に到達したことは当事者間に争がない。

そして、被告は右意思表示のいわれとして、原告が右経歴を秘匿し、会社を誤信させ、これによつて会社に原告の雇入契約をさせたことにある旨を主張し、会社が原告を雇入れに至つた経緯に被告の右主張に副う事実があつたことは、さきに認定の事実から明らかであるが、日本国民がその思想、信条を表明することもまた、これを秘匿することも、その自由として憲法一四条、一九条の保障するところであり、この理は国家と国民との間のみならず、国民相互の間にも妥当すると解されかつ本件においては右自由の制限を許容すべき特別の事情があるとも認め難いから、原告が右契約においてなした政治的思想、信条に関する欺罔行為は違法性がないものというべきである。従つて、右欺罔行為によつて会社が取消権を取得する筋合はないから、右取消の意思表示は効力がない。

(三)  (約定解約権行使)

<証拠>によれば、原告は昭和三五年九月九日会社に対し採用内定通知を受けると、すでに提出した身上調書の記載事項が事実と相反する場合には、会社が採用を取消しても異議がない旨を記載した誓約書を会社に差入れたことが認められ、右事実によれば、会社と原告との間には、右誓約書の授受により、右事由にもとずく解約権留保の合意が成立したというべきである。

しかしながら、右合意が会社において日本共産党員又はその同調者を企業から排除するという政治的思想信条による差別待遇の企図に奉仕する目的のために結ばれたものであることは前記認定の事実に徴して疑う余地がないから、右合意は憲法一四条、一九条の趣旨に背馳し、公序に違反する以上、無効である。従つて、会社が原告に対してなした前記解雇の意思表示が右約定解約権の行使であるとしても、また会社がその主張のように右意思表示と別途に昭和三九年七月一六日の本件準備手続期日において右合意による解約権行使の意思表示をしたとしても、右意思表示はいずれも、所期の効力を生じない。

四結論

そうだとすれば、原告は現在なお会社に対し雇傭契約に基く権利を有するものというべきところ、会社が昭和三七年三月一三日以降原告を従業員として処遇していないことは当事者間に争がないから、会社との間において右権利の存在の確認を求め、また会社に対し右同日から本件口頭弁論終結前たる昭和四一年一一月三〇日まで月額一七二四五円の割合による賃金合計九七四六五五円の支払を求める原告の本訴請求はいずれも理由があるものとして認容すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。(駒田駿太郎 沖野威 田中康久)

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